博物館<File No.82>Part 3 ランボルギーニ イオタ SVR(伊)

Car museum in the world with almost 1/24 scale-model
Car Models File-No.82 /////////////////////////////////////

ハセガワ 1/24 ランボルギーニ イオタ SVR(伊)
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─── “J”は3度嫁ぐ

 “J”=イオタのファーストオーナーはミラノでランボルギーニなどの新車販売ディーラーのオーナーでした。彼は旧貴族でレーサー、フェラーリのワークス・レーシングチームの契約テストドライバーでもあったそうです。まさに“J”には打って付けのお相手だったのです。デリバリーの日、彼はサンタアガタのランボルギーニ本社に自ら訪れ、“J”のハンドルを自ら握りミラノへと帰ったそうです。しかし、“J”との蜜月はわずかで、同じくミラノに在住の靴の販売で財を成したセカンドオーナーにバトンを預けたのです。しかし、シューズの彼はドライブスキルが無く、ほとんど自らドライビングすることはなく、前オーナーのディーラーの倉庫に収まっていたそうです。そこで、3度目の嫁ぎ先を探すことになったのです。
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───運命の日 1971年4月28日

 1971年4月29日の地元紙「ジョルナーレ・プレシア」の記事には『4月28日19時頃、エンリコ・パゾリーニ(30)とジョバンニ・ペドリネリ(24)の乗るランボルギーニ・ミウラのプロトタイプが、プレシアの一般供用前の道路でテスト走行中に、緩やかなカーブに差し掛かったところで、時速200キロ以上の速度でバランスを失い、道路左側の小麦畑に転落し炎上した。車内の二人は衝撃で車外へ放り出された。事故を目撃した近隣の方からの通報で、消防・救急、および警察が出動。ケガ人を病院に搬送し、事故の処理を行った』。
 このエンリコ・パゾリーニが“J”の3人目のお相手でした。彼も新車販売ディーラーの経営者でした。
そもそも一般に供用前の道路へ向かったのも“J”のパフォーマンスを披露するためだったそうです。

↑ この事故の写真から見えるモノ、、、、つづく

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